イチローは甲子園で成績はどうだったの?
2016年シーズン、日米通算最多安打記録を更新し、名実ともに世界ナンバーワンの安打製造機となったイチロー。
オリックスブルーウェーブに入団後、あっという間にその才能を開花させたイチロー選手。
そして、日本が誇る安打製造機としてアメリカにわたり、あっという間にその名を全米にとどろかせたスター選手も、高校時代の活躍はあまり知られていません。高校時代は打者だけではなく、投手としても注目をされていた当時のイチロー選手。
高校時代のイチローはどのような成績だったのでしょうか。そもそもイチローは名古屋の名門、愛工大名電高校の出身です。2015年シーズン最終戦にメジャーリーグで投手として1イニング登板したことが話題になったこともありましたね。
イチローが高校時代は投手であったことは有名な話です。しかしながら、ドラフト会議で野手としてオリックスに指名された通り、当時から野手としてたぐいまれな成績を残していたということはあまり知られていません。
537打数269安打。この数字はイチローが高校時代の3年間の通算成績です。なんと打率.501と5割を超え、出塁率に至っては5割5分を超えるのです。269本のヒットのうち、2塁打が、74本3塁打が28本、本塁打が19本となっています。
※愛工大名電高校の野球部資料から抜粋
151試合の出場で、269本ヒットを打ったということは1試合平均で1.78本のヒットを打っていることになり、ほぼ毎試合マルチヒットを打っている計算になります。
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高校三年間で5割を超える打率は異例
高校野球は対戦する学校によってレベルの差が激しいため、ヒットを多く打つことは一流選手にとっては当たり前ですが、これは高校3年間の成績としては異例の打率といえるでしょう。
例えば、2016年セリーグ打撃2冠王に輝いた、横浜DeNAベイスターズの筒香は、出場した2年夏の甲子園で打率.526という記録はあるものの、高校通算打率は4割台となります。
いかにイチローの通算成績がすごいということがお分かりになるのではないでしょうか。そんなイチローは、1990年の2年夏と1991年の3年春の2回甲子園に出場しました。
2年夏の甲子園では、レフトのレギュラーとして出場し、1回戦で好投手南投手を擁する奈良県天理高校と対戦しました。結果は1安打しか放つことができず、チームも破れ天才バットマンとしては苦い結果となりました(天理高校はこの大会の優勝校)。
そして、3年春の甲子園ではのちに日本ハムで外野手として活躍した上田投手を擁する松商学園(松商学園はこの年の更新で準優勝)相手に無安打に終わりました。
ちなみにこの年、イチローはエースとしてチームをけん引し、敗れた1回戦でも9回3失点と好投をみせましたが、敗戦投手になってしまいました。
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甲子園ではイチローは活躍できず
高校野球界で、天才の名をほしいままにしたイチローでも甲子園の通算打撃成績は9打数1安打、打率.111という結果でした。迎えた高校生活最後の夏。イチローは、エースで4番としてチームをけん引します。
決勝までの間の8試合で打率6割4分3厘、7試合連続複数安打、7試合連続打点、3試合連続本塁打とまさに手が付けられないほどの打撃成績を残します。しかし、愛知大会の決勝で東邦高校に敗れ、3期連続の甲子園出場はなりませんでした。
イチローは最後の夏に甲子園大会への出場はかないませんでしたが、その年のドラフト4位でオリックスブルーウェーブに指名されます。結果的に4位まで指名されず残っていたのは、甲子園での成績があまり振るわなかったからという指摘もあります。
その結果、プロ野球の世界で仰木彬監督という名将に出会い、1994年のシーズン210本のヒットという金字塔を打ち立てるに至ったのです。甲子園大会の成績のよしあしが、その後のプロ野球界での成績を左右するものではありません。
イチローはまさに、その典型的な例だったといえるのではないでしょうか。高校時代のイチロー選手の成績。そして、甲子園での活躍があまり語られないのには、この甲子園で活躍されなかったことがあったのかもしれません。
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