イチローと土井正三の本当の関係を暴露!
このページは、イチローと入団当初監督だった土井正三さんとの関係について暴露していこうと思います。
一流のプロ野球選手でも入団してすぐに活躍できる選手は限られています。高卒なら尚更です。
清原一博が西武の1年目で31本塁打を放ちましたが、1年目でこの本塁打数を越した選手はいまだにいません。イチローについても実際に活躍し出したのは、入団から3年目です。
1年目は、24安打。2年目は12安打ですが、3年目は210安打を放っています。石の上にも3年という言葉があるようにどの世界でも下積みの期間はある程度必要になるのではないでしょうか。3年目に大活躍したイチロー。
その秘訣はなんなのか。当時の監督の土井正三との関係などから探っていきたいと思います。題して、「イチローと土井正三の本当の関係を暴露!」です。
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土井正三はイチローの素質を見抜けなかった?
イチローはドラフト4位でオリックスに入団しました。当時のオリックスの監督は土井正三で巨人V9戦士の1人です。土井正三についている世間のイメージとしては、イチローの能力を見いだせなかったダメ監督でしょう。
イチローの振り子打法が気に入らなかったので、1軍にあげなかったという話は野球ファンの中に印象深いものになっています。土井正三の考えとしては、2年間程度はイチローをじっくり育てるという考えがあったそうです。
長い目で見て育てようというスタイルだったそう。入団当初は、ひ弱な体型で他の同期に比べると体格面で劣っている面があったためたくさん練習させて、たくさんご飯を食べてプロでもやっていける体力をつけさせたいという考えがありました。
1軍の試合で牽制アウトになり試合後は2軍行きを命じられたこともありました。イチローは1軍に置いて下さいと願い出ましたが、2軍に落とされました。当時は、イチローは特別な選手ではありませんから、厳しさを教えながら育てていく。
そういったスタイルの指導方法をとったのだと思います。愛のムチというものでしょうか。その後、イチローが大成したので1、2軍を行ったり来たりをさせたために、素質を見抜けなかった監督といった不名誉なレッテルを貼られました。
表面的なことしか見ていない人はそう捉えてしまうのかもしれません。監督が仰木彬に代わってからは、登録名も変更しました。今でこそ人気のあるパリーグも昔は違いました。
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仰木監督でイチローが大ブレイク
地味なパリーグを盛り上げたいという一心で鈴木からイチローという登録名になりました。チーム内外で、振り子打法に難癖をつける人がいましたが仰木監督は好きにやらせるというスタイルで温かくじっと見ていました。
チームによってはあーでもないこーでもないと選手をいじってしまう指導者が少なくないのも現実です。選手はそれに従うか聞いてるふりをするかの対応が必要になります。
選手の教育方針や起用法は非常に難しい問題であると思います。それ1つでダメになり球界を去ってしまう選手も少なくないので選手に見合った指導をしなければなりません。
自分の考えを押し付けるような古い指導だけでは選手はついてきません。性格も個々で違うのでそこの部分でも気を付けて指導をする必要があると思います。球団によって生え抜きの選手が育っている、育っていないがくっきりわかれています。
2016年シーズンの広島カープ、日本ハムはほぼ生え抜きがスタメンに連ねるチームです。選手を育てる土壌、育ちやすい環境があるのだと思います。どちらのチームもアットホームな印象はあるのではないでしょうか。
話を戻しますが、仰木監督イチローを起用した結果210安打で最多安打をとりました。仰木監督の温かく見守るスタイルはイチローのみならず、そのほかの選手もやりやすい環境になっていたのではないでしょうか。
人生においては人との出会いは一期一会です。土井正三は後にイチローが体力的な部分で難があったが、性格的なところも自己中心的なところもあったのでそこを教育するためにも2軍にあえて落としていたようです。
憎まれ役となっていたのかもしれませんが、イチローが今日のような活躍をしているのは、土井正三のおかげでもあります。いろんな報道はありますが、ドラフトにかけそこから育てる。その行為がなかったら今のイチローがなかったとも言えるでしょう。
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