イチローの成績はいつごろから下降しだしたの?
このページは、イチロー選手がいつ頃から成績が下降してきたのかについてお伝えしています。
今もなお活躍を続けるマーリンズのイチロー。日本でもメジャーでもレジェンドな活躍をしています。
そんなイチローの近年の成績は、出場機会の減少からか下降線を辿っています。イチローの代名詞でもある、打率と安打数を日本時代から今まで振り返ってみたいと思います。
イチローの全成績はコチラ
年数 |
安打数 |
打率 |
1992 |
24 |
2割5分3厘 |
1993 |
12 |
1割8分8厘 |
1994 |
210 |
3割8分5厘 |
1995 |
179 |
3割4分2厘 |
1996 |
193 |
3割5分6厘 |
1997 |
185 |
3割4分5厘 |
1998 |
181 |
3割5分8厘 |
1999 |
141 |
3割4分3厘 |
2000 |
153 |
3割8分7厘 |
2001 |
242 |
3割5分0厘 |
2002 |
208 |
3割2分1厘 |
2003 |
212 |
3割1分2厘 |
2004 |
262 |
3割7分2厘 |
2005 |
206 |
3割0分3厘 |
2006 |
224 |
3割2分2厘 |
2007 |
238 |
3割5分1厘 |
2008 |
213 |
3割1分0厘 |
2009 |
225 |
3割5分2厘 |
2010 |
214 |
3割1分5厘 |
2011 |
184 |
2割7分2厘 |
2012 |
178 |
2割8分3厘 |
2013 |
136 |
2割6分2厘 |
2014 |
102 |
2割8分4厘 |
2015 |
91 |
2割2分9厘 |
2016 |
95 |
2割9分1厘 |
1999年から2000年までは日本、それ以降はアメリカでの成績です。日本では1、2年目は出場の機会もなかったのですが三年目にレギュラーをつかみ210本を放ちました。当時の日本記録です。
当時は130試合しかなかったので、現在よりも13試合程度少ない中での記録です。いかにイチローが凄いのかがわかる記録のひとつでしょう。2001年からは渡米し、シアトルマリナーズ、ニューヨークヤンキース、マイアミマーリンズと渡り歩いています。
ヤンキースは2012年の途中から、マーリンズは2015年からです。マリナーズ時代に記録したシーズン最多安打記録の更新などで弱いチームであったマリナーズの中で一際目立っていました。
Sponsored Link
弱小チームゆえの悩み
チームの中では勝利より個人記録の方が大切なのかという声も出たことがありますが、個人が頑張らないとチームも勝てないのではと思うこともありました。渡米一年目から242安打を放ったイチローは世界に認められる存在になりました。
相手投手のデータがないなかでのこの記録はすごいですね。データがあったのかもしれませんが、実際打席に立つとまた違うのでイチローの適応力の高さに驚きました。
逆にいうと、イチローのデータがないから打てたということもいえるかもしれません。2001年から2010年までは200安打を越えています。このあたりがイチローのピークなのではと思います。年齢的にも肉体的にもです。
2011年から成績が下降線
Sponsored Link
2011年からは200安打をきっています。2013年からは顕著に成績が下がっています。移籍先のヤンキースでは出場機会に恵まれていなかったというのが大きな理由だとは思います。
2014年以降は100安打前後ですが、こちらも出場機会の減少によるところが大きいでしょう。40歳前後の選手より若手を使うという方針のチームが多いという事実もあります。
メジャーリーグだけでなくどこの世界でも、若手の育成というのはありますよね。またメジャーリーグでは契約によって出場機会が変わってきます。契約内容は事細かくなっています。
そういったこともあるので、イチローの移籍先ではイチローよりも他の選手を起用することが多いのです。日本では契約に関わらず活躍した選手は次の試合にも使ってもらえるということは当たり前です。
メジャーリーグでは活躍しても次の試合はベンチということが殆どです。年俸の高い選手をなるべく使って元をとろうとしているということです。そういった中でも起用されたところでは結果を出すイチローは流石です。今後の活躍にも期待しましょう。
Sponsored Link
あなたにおススメのページ